【所長のコラム】/鏡森定信

つまずきの石

 イタイイタイ病の一次裁判の判決から50年経った。戦後の産業発展の優先は、命、健康、くらしに甚大な被害をもたらした。原因企業や行政は被害者の訴えをまともに取り合わなかった。被害者は、最後の手段として裁判に訴えた。四日市ぜんそく、熊本と新潟の水俣病とともに4大公害裁判と称された。勝訴したが、被害回復に莫大な費用を要し今だに完結せず、社会的トラウマは消えることはない。

 ドイツに“つまずきの石”、なるものがある。ケルンの芸術家Guner Demnigが、戦時に虐殺されたユダヤ人が住んでいた家の前の歩道に、名前、生年、亡年、場所などを刻んだ10Cm角の真鍮プレートを1995年から埋め込み始めた。今は、個人や団体のスポンサーがメインテナンスしている。現在、約2万個まで増えたが、数百万人の犠牲者のごく一部である。歩道にそれを見つけたとき心がつまずき、ナチス支配の過去を考えるひとときになればとの趣旨である。4大公害裁判は日本産業社会の“つまずきの石”であろう。

 昨今は、GDP、株価、経済成長率など金融過剰経済やグローバル化、IT、M&A(規模拡大)など過剰な効率化のあおりからくる労働者の命、健康、くらしを脅かす事案が多くなっている。こんな事案が産業保健の“つまずきの石”になることを願う。

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